「大蔵貢と怪談映画〜新東宝・大蔵映画の怪談映画史〜」
「大蔵貢と怪談映画〜新東宝・大蔵映画の怪談映画史〜」

大蔵貢
怪談映画の歴史は、大蔵貢という傑出した人物が君臨した新東宝と、大蔵映画の作品群に集約されると言っても過言ではない。
新東宝とはエログロ映画を専門とし、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』を生んだ映画会社であり、大蔵映画とは新東宝が61年に倒産後、退陣した大蔵社長が設立した映画会社で、現在もピンク映画の最大手として健在である。
なぜ新東宝が怪談映画を熱心に製作したのか?根源は同社の経営難にある。東宝より分離・独立した新東宝は直営館を持たず、収益は常に不安定であった。
それでも理想に燃え、良質な映画の製作を続けていたが行き詰まり、再建を引き受けたのが大蔵貢その人なのである。大蔵は極貧の少年時代から倹約を重ね、無声映画の売れっ子弁士となっても、他人の残した弁当を食べるなどし、そうして蓄えた資金を元手に、多くの映画館を手に入れ経営。各大手映画会社の株主にまでなった。
55年に大蔵が新東宝社長に就任し徹底したのは倹約である。外部より大物監督やスターを呼ぶことを禁じ、自社の監督と俳優で低予算・早撮りの作品を量産した。作品の内容は大衆に知名度が高い講談や怪談、エログロを売り物にし、観客を20代の若者に的を絞り、作品に煽情的なタイトルを付けて観客の好奇心を煽った。例えば女子プロレスの映画なのに『相打つ肉体・赤いパンツ』という具合で、大蔵は企画第一主義を唱え、低予算のキワモノ作品でも大衆が興味を引く、企画と題名を追求した。
もう一つ大蔵が得意とした題材が「天皇」である。社長に就任早々、当時(今もだが)タブーであった天皇を主役にした大作の企画を思い付いた大蔵は、『明治天皇と日露大戦争』を製作。大蔵の思惑通り作品は物議を醸し、当時で7億円という破格の超特大ヒットを記録する。
大蔵が怪談を量産したのは、“夏は怪談”という、身に染み付いた興行師としての感覚からだろう。大蔵の商売は映画を“公開”するというよりは、見世物小屋が好奇心をくすぐる出し物と、大袈裟な題名で客を集める“興行”に近い。
大蔵は手始めに、妻子の極刑を覚悟で貧民を救った義民・佐倉宗吾の有名な義勇伝「佐倉大騒動」に、無理やり幽霊を登場させた『怨霊佐倉大騒動』と、同じく「宇都宮釣天井」に無理やり幽霊を出した『怪異宇都宮釣天井』、そして『四谷怪談』の3作を56年に製作。作品はヒットし、大蔵は自信を深めた。
56年の3作は、その後の怪談映画の進化を促した、重要な布石と言える。怪談とは程遠い作品に、無理やり幽霊を出す感覚は、古典一辺倒だったこれまでの怪談映画に風穴を空ける役目を果たした。大蔵の見世物主義により一見、怪談とは無縁な存在が幽霊と結び付き、まったく未開拓であった“オリジナル怪談”が量産されることとなった。新東宝で怪談は劇的な進化を遂げたのである。
また古典怪談も見世物感覚でグロの度合いが強まり、リニューアルされた。これはちょうど、ユニバーサルが量産したフランケンシュタインやドラキュラなどの古典モンスター映画を、よりショック度を強くし、セックスシーンを加えリニューアルした怪奇映画の名門・ハマープロに通じる感覚と言える。
ハマーにテレンス・フィッシャー監督がいたように、新東宝には中川信夫監督がいた。古典のリニューアルは中川監督が担当し、『東海道四谷怪談』を頂点とする、輝かしい業績を残した。
一方のオリジナル怪談は、太平洋戦争時代に起きた実話を元にした『憲兵とバラバラ死美人』(57年)を怪談味たっぷりに映画化。これを発展させ、憲兵と幽霊を組み合わせたズバリ『憲兵と幽霊』(58年)も登場。後に大蔵映画でも戦争と軍人と怪談をミックスした『怪談残酷幽霊』(64年)を製作し、「憲兵もの」というジャンルを確立した。
エロの方面では、三原葉子や万里昌代ら、新東宝のセクシー女優連が、肌も露な海女装束や水着でスクリーンを埋め尽くす『海女』シリーズと幽霊を組み合わせた『海女の化け物屋敷』(59年)と、『怪談海女幽霊』(60年)を製作。他社も幽霊こそは出さなかったが追随して海女映画を製作し、「海女もの」は一時代を築くムーブメントを巻き起こした。
古典とオリジナルに止まらず大蔵は、怪奇小説家・橘外男の原作も好んで映画化した。これがまた、新東宝の怪談・怪奇映画の裾野を広げる役目を果たし、名作を生むこととなった。
橘外男は「怨霊」の存在を、強く信じていた。実は橘は21歳のとき、官金横領事件を起こし、札幌郊外の拘置所に収監された過去があった。
そこで橘は殺人犯が深夜、うなされて発する、不気味な絶叫を夜ごとに聞かされ、殺された者の怨念がそうさせていると確信した。
やがて文筆活動を始めた橘は、38年に『ナリン殿下への回想』で第7回直木賞を受賞。多くの怪奇・幻想小説を発表した。新東宝が映画化した橘の作品は「地底の美肉」「怪猫屋敷」「私は呪われている」の3本。
映画化の際「地底の美肉」は『女吸血鬼』、「怪談屋敷」は『亡霊怪猫屋敷』に、「私は呪われている」は『怪猫お玉が池』と、それぞれ改題されて公開された。『女吸血鬼』(59年)は本邦初の本格的吸血鬼映画で、天知茂がダンディな吸血鬼を生真面目に演じており、中川監督の演出も快調。天草四郎の末裔、怪しい地下城、金色の十字架を下げ、生きたまま蝋人形と化した裸女など、お膳立ても申し分なく、新東宝ならではの傑作となっている。
『亡霊怪猫屋敷』(58年)は、単なる化け猫ものの粋を越えて、現代と過去が交差し怨念の恐ろしさを描いた名作。因縁のある屋敷に病気療養で滞在する人妻が、怪奇な老婆の亡霊に襲われる。寺の住職に相談したところ、江戸時代より屋敷にまつわる、化け猫の祟りを聞かされる。
中川監督は、現代劇の部分はモノクロ画面で、住職が語る時代劇の再現部分からカラー画面になる凝った演出を試みており、時代劇から現代劇へと戻り、モノクロ画面に繰り広げられるクライマックスは心底ゾッとさせられる。
珍品では和製フランケンシュタイン映画『妖蛇荘の魔王』(57年)があるが、珍品中の珍品は『花嫁吸血魔』(60年)に尽きるだろう。
新人映画女優・藤子がライバルの陰謀で顔面を砕かれ、母親も自殺。悲しみに暮れる藤子は母の遺言で、たった一人の身寄りである曾祖母を訪ねる。だが、将来を悲観した藤子は自殺。曾祖母は陰陽師で、藤子を秘法で蘇生させる。
蘇生した藤子は怒ると毛むくじゃらの怪物へと変身し、自分を陥れたライバル達に復讐を始める・・・。
この作品が珍品たる所以は、その内容もさることながら、作品にまつわる伝説が重要なのである。
ヒロインの藤子を演じだ池内淳子は、結婚を機に引退、新東宝を退社する。だが大蔵社長は「結婚生活は長続きせぬ」と、結婚に猛反対だった。案の定、池内の結婚生活は半年で破綻。離婚した池内は女優復帰を大蔵に申し入れた。
どんな役でも文句を言わないことを条件に、大蔵は池内の申し入れを承諾。そして製作された池内の復帰第一作が『花嫁吸血魔』なのである。
池内はこの作品で毛むくじゃらの怪物を泣く泣く演じ、後に大女優となってから、汚点であるこの作品のフィルムを買い取り、焼却処分をした。
映画以上に怪談じみた、伝説の真偽は今となっては謎である。いずれにしろ同年、新東宝はゲテモノ路線の総決算とも言うべき『地獄』を公開。その翌年に崩壊を迎える。
かくして怪談映画の進化を潰えたかに思われたが、大蔵が新東宝退陣後に設立した大蔵映画で、怪談映画は一層の飛躍を遂げる。
62年『沖縄怪談逆吊り幽霊・支那怪談死棺破り』を製作。これは2本の作品と思えるが、驚くなかれ実は1本の作品なのである。沖縄怪談の劇中、女は信じられない例えとして、支那怪談が挿入されるという構成で、大蔵はこれに外国から買い取ったB級怪奇SF『太陽の怪物』を『米国怪談』と銘打ち、抱き合わせて「世界怪談集」として公開する荒業をやってのけた。
ポスターを見る限り、どう見ても3本立てにしか思えないデザインで、興行師たる大蔵の面目躍如と言える。
さて内容だが、財産目当てに殺した妻の幽霊に悩まされる夫は、死体の足に釘を打ち付けると化けて出られないという沖縄の伝説を実践する。だが、足を釘付けにされた幽霊は、逆さまになって出現するという趣向が新しい沖縄怪談の劇中に、妻の浮気を案じた夫が仙術で仮死となり、美男の王子に化けて妻に言い寄り心を試す支那怪談が組み込まれている。
スタート早々、これまでの怪談の粋を飛び越えた大蔵怪談は、第2弾でさらにスパーク。夫に殺害された金髪の外人女性が、お岩さんのような形相で祟る、超離れわざ怪談『怪奇異人幽霊』を63年に製作する。
相変わらず着想とタイトルセンスには敬服させられるが、続く第3弾は太平洋戦争の最中、権力を悪用する軍令部参謀が自分の殺した人々の亡霊に祟られるという、新東宝時代を彷彿とさせる内容で、タイトルも大蔵としてはおとなしい『怪談残酷幽霊』(64年)であった。
その反動なのか、第4弾は怪談とピンク映画を融合した究極の逸品『生首情痴事件』(67年)を製作する。この時期、大蔵映画は成人向けのピンク映画を量産しており、その粋で「夏だから怪談」だと単純に企画されたことがピンク映画誕生の理由である。
内容も、財産目当ての夫に睡眠薬を飲まされ、鉄道自殺に偽装され殺された人妻。だが首だけ発見されない。やがて妻の首だけの亡霊が祟り、夫の愛人は顔面に大火傷を負い失明するという、怪談愛好家の琴線をくすぐる傑作だ。
そして68年、怪談映画の終着駅『怪談バラバラ幽霊』を製作。美人令嬢が殺害され、死体はバラバラにされる。そしてバラバラの幽霊が祟るという壮絶な内容で、タイトルも直球勝負で大蔵らしい。
もはや行き着く所まで行き着いた感があったが、しばらく大蔵映画は怪談映画から遠ざかる。それから8年のブランクを経て唐突に怪談映画を製作。四谷怪談のピンク現代版だが、劇中に僧侶の語る昔話として、新東宝の56年版『四谷怪談』(モノクロ)を挿入。オープニングには同じく新東宝の『地獄』を流用している。
内容的には後退した感を拭えないが、タイトルのセンスは一層の磨きがかかっている。この作品は『新怪談色欲外道お岩の怨霊四谷怪談』として76年に公開。その2年後・78年9月15日に大蔵貢は永眠。同時に怪談の進化は途切れ、オカルトやホラーに地位を奪われ現在に至る。
それでも95年に大蔵映画は『色欲怪談・発情女幽霊』、97年には伝説の時代劇怪談『色欲怪談・江戸の淫霊』を創立50周年記念として公開。大蔵貢の遺志は今も脈々と、受け継がれている。








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